犬飼の湯
 律令制のもと、古代の信濃の国には10郡があり、松本平には筑摩郡が置かれていました。この中に、今で言うところの村にあたる「郷」が、良田(よしだ)・崇賀(すが)・辛犬(からいぬ)・錦服(にしきべ)・山家(やまが)・大井(おおい)と6郷あり、辛犬郷は、現在のほぼ浅間温泉を中心とした地とされています。
 この辛犬郷には、辛犬甘(からのいぬかい)という渡来系の有力氏族がいたことが判明していて、この氏族は後に、松本市城山に犬甘城を築いて小笠原氏の家臣となる犬甘(犬飼・いぬかい)氏という豪族に発展します。
 浅間温泉は、通説では天慶2年(939)その豪族犬飼半左衛門によって発見され「犬飼の湯」と呼ばれたのが最初とされていますが、実際には、先の頁でも記載したように、開湯の歴史はそれより300年は遡るようです。
 ところで、天慶年間(938〜947年)浅間温泉は、当時この地を領有していた、この犬飼(犬甘)氏の名をとって「犬飼の御湯」と呼ばれていました。
 御湯と呼ばれたからには、犬飼氏は朝廷からも相当身分の高い氏族としてみられていた事がうかがえます。

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